1997.7
この舞楽面は雅楽を奏して演舞する際に用いる仮面です。
1997.7
「児玉満昌作写し」
名称はこの面の創始者である般若坊の名にちなんでつけられた。女の嫉妬の悲しみを、怒りの極限を表現した傑作といってよい。大きな金具の眼、金色彩色の歯列も怨霊面の基本。女性とはいえ口端を深く切り込んでいる口が、動物の蛇を思わせ、さらに額に二本の角をはやし大きな耳を持つ工作は、作者の表現力の豊かさに驚かされる。それでも額の髪や描き眉に女性らしさは残している。
「道成寺」「葵」「安達原」の鬼女役に使う。
2002.7
「正倉院宝物・写し」
仏教の思想上の鳥。八部衆の一。
須弥山世界の四天を翔り、竜を取って食とする。翼は金色、常に口から火焔を吐く、その大きさ三百余里という。密教では梵天などが衆生を救うために化身したのだという。日本でいう天狗はこの変形を伝えたものだという。
1997.7
「伝福来作写し」 癋見の名は「へシム」に通じ、口角に力を入れ、口を強く「へ」の字形に圧し噤むところから来ている。仏教でいう「阿・吽」のうちの〔吽〕である。因みに〔阿〕に当たるのが飛出(とびで)の系統であり、飛出に大、小などがあるように、癋見にもいろいろ変化がある。小癋見は、大癋見よりも文字通り小振りであるが、その分筋肉が引き締まったかのような緊迫感を持つ。へしめる口の両端を引き下げるのも力強さを感じさせる。赤味の強い肌色は、内に秘めた力を示す。天狗ではなく、閻魔大王や鬼神の役に用いられる。「鵜飼」「野守」の地獄の鬼神(後シテ)のような役柄に相応しい。この舞楽面は雅楽を奏して演舞する際に用いる仮面です。
1999.4
「出目満楢作写し」 大癋見は世阿弥(あぜみ)の時代から存在した天狗の面で『申樂談儀(さるがくだんぎ)』によれば『大癋見をば、他国より大和癋見といふ』とあり、本来は大和猿楽独特のものであったのかもしれない。『鞍馬天狗』・『善界(ぜかい)』・『大会(だいえ)』に使われる。眼には大きな金銅板嵌め、表面は肌色に彩色する。一直線に閉じられた唇や、隈どりの部分には朱がいれられ、眉やひげは墨で太く描かれる。小癋見に比べ、つくりも大胆で、全てが誇張されている。
1996.5
「河内大堟家重作写し」
能「葵上」六条の御息所(御息所)には、高貴な女性故に、能では「白般若」を使う。賤しい女人が極度の嫉妬故に眉間をしかめ復讐に燃えて、顔面が赤く興奮の極みに達した状態を分類し「赤般若」として「道成寺・黒塚」にかける。作者の近江井関家四代、河内大堟家重は、江戸初期近江から江戸に出て活躍した名士である。
龍右衛門が、能面創作の天才ならば、河内は、能面制作の技術に加え、工夫を凝らした絵画的技巧や、細工にかけての大天才である。野獣的に大きく”カ”と開いた口は耳元まで裂け、牙を剥き出し、額には二本の角迄生えて、敵愾心を顔全体に表した激しい表情は造形芸術の最高傑作である。
1999.11
「出目満志作写し」
「橋姫」の今一の型が、この面である。口の形などは「泥眼(でいがん)」を思わせる。ただし、歯の上下共のぞいているが、「泥眼」より感情が露骨である。楠天の葉の様な目、乱れ毛のない整然とした毛描きなど、鋭く精錬された雰囲気の型である。
1998.3
「満永作写し」
元歴元年(1184)一谷の戦いで十六歳で短い生涯を閉じた平敦盛(たいらのあつもり)の貌(かたち)である。敦盛の相を表した色白の彩色とふくよかな頬は、幼さを感じさせる。
1999.5
「江戸中期作者未詳」
源頼朝をうとうとして果たせなかった平家に武将・景清は、源氏の世を見るも汚らわしいと、みずから眼を潰し日向の国にて乞食(こつじき)となった。その晩年を表すこの面は「景清」にのみ使用される。各流派の解釈によって「景清」面の工作上にも違いがある。
1995.3
「作者未詳」
人生の意義を模索する憂愁の青年として創作された「邯鄲男」の面は、当然「邯鄲」の曲専用の面であった。たまたま「高砂」の後に使ってみて神体にも相応しいことが発見された。能面の使用によっていろいろ工夫される。「邯鄲」の面は他に鶴亀の亀や「歌占」の「シテ」にも用いられることがある。
1998.4
「長沢型写し」
翁の三番叟にのみ狂言方が使用する。翁と父ノ尉と黒式尉の三面は上顎、下顎が切り離されている。これを(切り顎)と呼んでいる。
1993.9
「河内大堟家重作写し」
能面の中で一番華やかな存在であり、それだけ名前もよく知られている。
「小面」の「小」は年の若いということと可憐さ雅さという意味である。従ってこの面の美しさは、若くて品がよく、しかも明るさがなければならない。
2004.3
「伝夜叉作写し」
独特な顔をしている、神懸かった狂女を演じるのに適している。あくまで増女の延長線上にある面。小鼻から口許にかけて皺を鋭角に切り込み、眉間の皺も大きく見せ、あくまで美しさと品格を備えた面。
2003.8
「創作面」
大癋見は天狗の面であるので、鼻を高くしたのがこの面である。国つ神の一。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)降臨の際、先頭に立って道案内し、後、伊勢五国十鈴川上に鎮座したという。容貌魁偉で鼻長七咫(あた)身長七尺余と伝える。日本書記には、これを俳優または衢(ちまた)の神とした。中世に至り、庚申の日にこの神を祀り、また道祖神と結びつけた。郷土の祭事にもこの神が登場するので意を込めた。
1999.7
「宝生流型赤鶴写し」
「般若」によく似ているが「般若」をさらに獰猛にしたのが「蛇」である。目口頬骨など、誇張がはなはだしく、恐ろしくはあるが気品に欠ける。
「般若・蛇」の面は女性の性的執念を表現した仮面で、昔から仏典では、人身は四大の所造で、これを毒蛇に喩える週刊があり、愛欲に生きるが故に、「愛羅刹女」と呼ばれる鬼女、毒蛇、悪蛇と考えられていた。特に毒蛇、悪蛇としての女人は、強い執念の愛欲痴情が報いられない時は、相手をとり殺してでも自分のものにするという激しい性質を持っていた。「安珍清姫伝説」がそれである。
1984.5
美音菩薩。本来は笛を吹くポーズであるが、儀軌に捉われず自由な発想のもとに、 笛の音の木霊す雰囲気を創造しました。題して「自観」・「笛を聴く」
1999.7
中国に古くから信仰される女仙。性は楊、名は回、周の穆王(もくおう)が西に巡狩して崑崙に
遊び、西王母に会い、帰るのを忘れたという。また漢の武帝が長生きを願っていた際、西王母は天上から
降り、仙桃七顆を与えたという。能の一つ。神物。西王母が桃の実を帝に贈ったことを脚色。
免ぐ里くる やよいもひさし三千と
せに なるてふ桃の 花のさかずき。
2007.8
法隆寺金堂、西の間の本尊の頭上を飾る天蓋で、楽天が様々な楽器を奏し自分流に纏めました。
1988.7
ほのかな煌きをイメージして製作しました。
1986.4
大日如来の略。宇宙と一体と考えられる没神論的な密教の本尊。その光明が遍く照らすところから遍照または大日という。智を象徴する金剛界と理を象徴する胎蔵界との区別によって二種の尊像がある。この両者が合体した大日如来が毘盧遮那(びるしゃな)如来。若い姿の大日を表現し、光背は太陽のマグマの様相を唐草模様で纏めました。